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日記

西日本豪雨から1年

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平成30年の西日本豪雨から1年が過ぎました。

まだ1年なのか、もう1年なのかどちらとも言えるような気持ちですがやっぱりあの日のことは鮮明に思い出されます。
あの日は金曜日で、職場でもすごく雨が降っているねとは話をしていましたが早退するわけでもなく普通に定時まで働いて帰宅しました。
帰宅したら義母がいつものように夕ご飯を作ってくれてしましたが隣の一人暮らしのおばあさんは念のため早めに高手にある公民館に避難されたという話をされました。
しかしまだ避難指示も避難勧告も出ておらずまあよく降る雨くらいな気持ちです。
実は次の日の土日は岡山のおもちゃ王国へ1泊2日の旅行に行くつもりだったのです。

雨で川の水が増えるということはよくあること。
避難するどころか旅行も行くつもりでした。


だけど降り続く大雨。
だんだん増える水嵩。

そこで念のため避難したほうがいいのではないかという話になりました。
それでもまだそんなに危機感もなく、次の日旅行に行くために準備したスーツケースを持って車で避難所に移動することに。
そんな準備をしていると地元の消防団さんから避難したほうがいいと声をかけられました。
風呂まで入って21時頃、ようやく家を離れました。

あとから聞いたところによると22時頃から浸水が始まった様子。
結構ギリギリのところでした。
避難指示が出たのもそれくらいの時間だったと思います。

旧家のすぐそばを流れていた川は支流であり、本流が流れきれないことによって水嵩が増えたことで堤防が決壊しました。
幸い、というか、ゆっくり遣ったので家が濁流にのまれることもなく、水が引いたあとは土砂が家の中に入りこんでもいませんでした。

本流が氾濫して被災した家の片づけはもっと大変だったそうです。

次の日の土曜日、晴れたのですが水は引くどころか増えていきます。
上流では未だ降り続いていたせいです。
しかし私たちの街ではそれ以上の災害はなく、さらに翌日ようやく水が引いて家の中に入れました。

片付けに入れたのが日曜日。
ソファの上に畳があったり、タンスも当然横倒れ。
金曜日までは家具だったり家電だったりしたものがすべてゴミに。
子供のレゴブロックとかが天井に張り付いていたり、お気に入りの仮面ライダーの剣が土で汚れていたりしたのが悲しいというよりは切なかったです。
私はこの家に住んで数年でしたが、旦那や、旦那の両親さんはもっとたくさんの思い出があるので悲しかったと思います。
買いなおせるものはいいですが、保育園から誕生日にもらう手形の色紙とか汚水を含んでしまったので捨てるしかないのですが買いなおせないですからね。
私はその色紙くらいでしたが、義両親、特に義母にとってはそういうものがたくさんたくさんあったのだろうと思います。

近所の被災していないみなさんもせっかくの日曜日だったのにたくさん手伝ってくださいました。
次の日も職場や親戚の方、私の両親も軽トラなどを貸してくれたり手伝ってくれたり。
終わるだろうかと思った片付けも1週間程度で粗方片付きました。

梅雨が明けたかどうか覚えていませんが、電気もないのでクーラーも扇風機も使えないのに暑かったのがしんどかったです。
片付けにクーラーボックス持って中にポカリスエットとかお茶とかを詰めて行っていました。冷蔵庫もないので。

田舎だからか、行政も親身になってくれて住宅を貸してくれたりとてもスムーズでした。

あれから1年。
日々の生活もあるし、家づくりをしていたので忙しかったり新居という楽しみがあったのであまり悲観せず過ごせたような気がします。

それはやっぱり、人が無事だったからです。
大きなケガもなく、精神的なダメージもなく、家族も、ご近所さんも誰も亡くなっていないからです。

あのとき避難指示を待たず、次の日帰られると思っていたとしても、一応でも、避難していたおかげだったと思います。

ここ最近50年に1度の災害警報?が毎年あるように感じます。
先日は九州が豪雨でしたね。

災害のない世界などはないかもしれませんが、日本中、世界中で大きな災害が起こりませんように。
もしも起こってしまったら少しでも受けた御恩を返せたらと思います。

このブログでもご心配をいただきましてありがとうございました。
どうかみなさまが今日も明日も来年も、健やかに過ごされますように。

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